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体罰の是非

http://d.hatena.ne.jp/kent013/20081024/1224867813
「考えを押しつける」と「体罰について」分けて書いてみる。

考えの押しつけについて

個人的な考えをまとめると


教師の身勝手な考えを押しつけられたくない、取捨選択したいという意見が見られたが、社会的には「その場においては監督する人間の考えを正しい」としなければならないと思う。
いくら不条理な考えだと思ってみてもそれは仕方ない、管理監督される事が前提の所に行っているのだから。

上記の補足

「俺は学業の為のみに学校へ通っているのだ」とする聡明な子供もいるだろうが、それはその人の考え方にすぎず、義務教育レベルの学校は社会的な行動を学習する場でもある。
現実としてこれを否定する人はいないだろう。

学校がそういうものであるかぎり「俺はしつけコースはパスで」という訳には行かない(未来には来るかもしれないが)。


規格化された義務教育といえど、ことしつけに関しては「常識的に」というはっきりしていそうでかなりあやふやなラインの上にある。
(これは学校にかぎらず、どういった状態を社会性というものを具体的・厳密に定義などできないだろうから、しかたないと思う。私は食事の時にしゃべる事を禁止するほどのことか?とは思うが「食事の時にTVをみない」と天と地ほどの差はないと思う。)


学校それぞれで「メシを黙って食え」とか「休み時間以外は私語厳禁」とか「厳密に規定された髪型以外禁止」とか、諸々のしつけにローカルルールが実際にある。
「俺の学校こんな変な校則があったよ!」とネタにされるような不条理なものもあったりする


ただ、それって結構ボーダーな事ではないのかと思う。
特別な思想、例の水に話かけるとか、そういったものも含めて個人的にはボーダーだと思う(俺は子供に受けさせたくないけど)。
学校は基本よかれと思ってやっているし、親それぞれで意見が分かれるだろう。


それらを判断監督しているのは基本的に校長であり、さらに校長を監視するPTAやら存在し、そしてPTAに意見するのが子供が大事な親である。
こういったチェック機能があるかぎり、本気で不条理(たとえば遅刻者は死ねとか、自損しろとか)はほぼ存在していないと言って良いのではないだろうか。
本気で問題なら、なぜそういった人達は声をあげないのか(まったく状況が知らないのかもしれないが)
「まーいいんじゃない?」と一応多数決意見という事になっているのではないか?

ということで、安易に「メシを食べていてしゃべらせないなんて非常識」などというのはちょっと違うのではないかと思う。
そういう風に思う人がいて、少なくとも全員がそれを拒否しているわけではないのだから。

実際に投票してみたら3:7なんて事もあるかもしれないが、それでもたいした問題じゃないと思う。
そういうローカルルールがあるというだけの話で。
だもんで、しつけに本気で非常識とおもわれるようなしつけ内容はほぼ無いんじゃないの?


というか、不条理かどうかを主観以外でどう判断するのか、簡便かつ現実的な方法は俺には解らなかった。
保護者100人集めて投票とかでいいというなら良いのだが、明かに地域差などは生まれるだろうし、総意になるような物なら主観で十分だろう。


それでも押しつけは良くないという意見もあるだろうが、重要なのは最終的にどちらが正しいとか正しくないとかではなく、
監督者たる親も全体的にはベターだろうと考え、子供に押しつけでやらせているという事だ。

親は学校に絶対の信頼を寄せているというわけでもないとはおもうが、諸々最大公約数を教師に期待し、ベターだろうから基本的に任せるという所が現実的なセンなのではないか。
もしかして手ぬいているだけかもしれないが、親だってしつけ以外の面で子供にしなければならないことはやまほどある。


話変わるようだが、モンスターペアレントは見ていて反社会的な要求をしているようだが、積極的に自分が望ましい指導を要求している訳で、そういう意味なら正しい行動をしているのではないかと思う。


さておき、最大の監督者たる親が言うことは子供にとって基本的には絶対であり、親が行けという学校の先生には当然従わなければならない。
なので子供は従うべきだと考えている。




まーもし本気で「社会人育成機能」を否定するなら学校に行くべきではないかもしれない。
義務教育だとしても不登校し、あとは自宅学習すれば物理的には可能。うざったらしい学校から解放されてイキイキできるかもしれない。

ただどうしても「あいつ変わってるな、学校も我慢しなかったの?」と判断されてしまうだろう。
(将来的にはみなリベラルになって、この辺りも自由になるかもしれないが…1〜2世代でこの「偏見」は変わらないと思う)


これは良い結果なのだろうか?自分が親ならどういう風に判断できる?
リベラルな親ならそれを容認するかもしれないが、集団学校ボイコットなどといった運動など私は見たことが無いし「通えるなら通ってもらいたい」のが「普通」ではないだろうか。
現実問題、そういう物だとおもうし、これを改善したい!という人は山ほどいるにしても、それが総意かというと、そうではないと思う。


ごじゃごじゃになってしまったので、まとめると

・学校は現実として社会人育成機能をある程度任されている
・その為、学校は子供に対してしつけを行う必要がある
・学校は「学校側が考えるベターなしつけ」を子供に向かっておこなう
・学校の末端は先生
・先生の行動は学校の代理であり、子供は学校に従う=先生に従わなければならない
・子供は学校に従うので、その内容について基本的には取捨できない。
・子供は学校を経由して、親に従っている。


・親は子供を幸せにしたい
・学校にいれて、良い社会性を身につけさせたい
・なので親は子供を学校に行かせる
・子供は親に従わなければならない


・子供は親に学校の指導について報告できる
・親は自分の判断で、学校に対してPTAなどといった機関経由で働きかけができる
・学校は末端の先生にむかって働きかけができる


・上記は現在確立されており、極端な破綻をしていない
・破綻していないという事は、大多数の学校では無難なしつけ内容が選択されている
・しつけ内容について重大に考えなければならないような状況ではない


「子供が絶対に親にしたがわなければならないなんてことはない!」という人もいるだろう。
俺の考えはそこらへんで多分容認できない人には容認できないのではないだろうか。
ここは考え抜いた事がないが、現実的に子が親に従わなくてよいケースは極端な例しかみたことない、それこそ事件になるような。


本題、体罰について

体罰の是非についてだが、まず体罰は体を傷つける事が目的ではなく、相手に恐怖心を植え付ける事で相手をコントロールする技術である。

叱責や恫喝等、言葉で恐怖を植え付けたり、後は共感を期待して諭す技術もあるが、
とにかく相手感情を大人がずるがしこくコントロールして、大人の言うことをきかせる為のテクニックであることはまちがいない。
そういったテクニックは子供の意に反する事をさせるにはやはり必要だと私は思っている。

そして体罰はその手法の中でも一番コンビニエンスな方法だと考えている、特に時間と効果において。


一人の子供に1日かけて諭すと他の子供は放置になるだろう、一人の子供にげんこつ一発5分ですめば、他の子供に時間がさけるだろう。
親はしつけ以外にも子供のために限ってもやらなければいけないことがやまほどある。

しつけも作業なので、効率的であるという事をまったく無視することはできないのではないだろうか。
なのでこの手法は安易に放棄すべきでもないとおもっている。


しかし、これに頼り切るのは当然危険であり、殴ってばかりで子供をしつけるのは話にならない。
早くて簡単だからと殴ってばかりでは昭和の親父である(それが普通だった気もするが)。
体罰はあくまで奥の手で、口頭の手法を普段は活用すべき。


ただ、奥の手があるからこそ小さい注意も効果があるとも思う、深い。


体罰についての補足。

まず最初に、私は可逆な体罰であれば容認する派である。子供を一度もはたかずに十分育てられる自信はない。
育てられないとはすなわち子供に社会性を十分に与える事ができないということで、長期的にみて子供にとって不幸な事をしてしまうだろう、という風に考えている。(愛情ある体罰(笑)かww)

これは説得で子供にしつけが行えないということであり、私の教育能力の不足が原因。できた親御さんから「教育能力が低いからって子供を叩くな低脳」というそしりは甘んじて受けないといけないだろう。


後、どうでもいいけどしつけ は しかりつけの略だという都市伝説を信じている(以後のしつけ は しかりつけ的な行為が主だと思ってもらいたい)。


しつけとは基本的に子供がいやがることを無理にやらせる事にほかならない。泥を食べてみたいのに制止され、箸使いなど適当にやりたいのに厳格さを求められ、走り回って遊びたいのにその場所を制限される。不条理だ。

なので、体罰や恫喝、なにか不利な条件を与える(ご飯抜きとか、家から追い出されるとか)事で、恐怖心など強い不快を与えてコントロールする事が多い。
笑顔で「だめですよ」の一言だけで子供がすべて従う訳はないし、すぐ忘れると考えている。
つまり「罰」の効果が薄いと効果が十分ではない。


そこで「こらっ!」と大声でびっくりさせる(暴力を連想させ、恐怖を覚えさせる)事で効果を出したりする。
(これでヘラヘラ出来るのは体罰はないとわかっているからだろう)

説得とは別に、相手に恐怖心を与えない手段だと、悲しい笑顔で「ダメよ」等と伝える事で、子供に親との共感による心理的な痛みを与える事が出来る。
(ただし、子供は共感力がまだまだ高くない事が多いから、これの効果は高くないと考えている)

あとは勿論理詰めでダメであることを説得する事も勿論できる。
(これは実際凄い大変だし、親も万能ではないのでしばしば「ダメだからダメなの」的な詭弁に頼らざるをえないが…)



非可逆的な体罰(後遺症が残るとか)については子供のみならず監督者自身の為にも避けるべきだが、可逆的(不快だが、けがにならないもの)なものに関してはその恐怖を植え付けるという事に関して効果的であるならば、どうしても手法として残らざるを得ない。
だって前述した通り、効果的なんだもの。


体罰を使いたいならばしっかりした思慮、厳重に管理された中で行うべきだと思う。
監督者は吉本にでも行き、痛くないが派手な音がでるはたき方を練習すべきだ。
これは半分冗談だが、一種の提案でもある。

今は体罰を見ないから程度がわからず突然大事件になる、つまりけんかをしたことがない子供がけんかをすると大けがを招くような事態なのだと考えている。
そしてそのために子供側も体罰をことさら重大にとらえているのではないだろうか。



個人的には教育は体罰も含めてベターかつ合理的である、と個々の人間が考える方法で行われると思っている。
レストランでうるさい事を、1日かけて説得できても合理的ではない。
一喝して恐怖を与えるなどせず、周りに迷惑をかけずに子供をコントロールする事は容易ではない。



ただ、私みたいな穏健体罰容認派(?)がこういった意見を書いたり、(無いが)もしデータで有効性が出せたとしても、
そんなこと御構いなしに反対の声がさらにもう少し大きくなれば体罰は無くなるだろう。
なぜなら、仮に体罰の効果を信じていたとしても、周囲全員から人でなしの烙印を押されてまで体罰を行える自信はないから。


ここで突然例の事件について自分の感想を述べるが、あれは床をつかって不可逆的な傷を作った訳で、さすがに許されない。
ただ、あれは体罰というよりかっとなってやった暴力事件・事故であると思う。それは私の基準で適切な体罰とはいえない。
「愛のあるきれいな体罰(笑)ww」ではない


今私がこんな意見を言えるのも「まあ体罰って時と場合によっては必要だよね」的な意見はやはり多く、それをベースに色々と考えているからであり、
これを言えている時点で周りの常識とやらにおいて、程度問題で許容されている事だと感じている。
ああいった極端な事例を元にして「体罰は絶対禁止!」という方向に私はながれてほしくはないとおもう。
だって体罰はある程度必要だと考えているから。


とにかく私の子供を社会性が足りない状態にはしたくないから色々考え、心配している。
なのに、私が中途半端な状態であきらめてしまうほど、しつけがものすごい大変な作業にはなってほしくないと思っている。
これは前述した様な自己中意見なのだが、親と子はどうしても一心同体なのであり、合理的な所におとさないと共倒れする、余裕が無くなってキレたらまずい。


なんかグダグダになってしまったが、ここでいきなり締める。


とにかく、もっとみんな言い合えばいいと思うよ。

ただし、揚げ足ばかりとって相手をことさらに蔑むような論調はいけないとおもう。
なんせ大概の人間は真剣にどうすればよいかと考えているのであり、その結論が自分の考えと違うからといって相手が悪のような論調は良くない。それは建設的ではない。


「俺の言うことが絶対真実!正解!お前バカ!死ね!悪魔!」と言ってるような物だ。
心にグサっときて、もしかして体罰よりも将来に傷をのこすかもしれないじゃん?
まあ、子供じゃなくて大人相手だからOK!という発想なのかもしれないが。


まあ何はともあれ子供達に幸あれ。