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携帯による文化の分化、断絶

http://d.hatena.ne.jp/mirakui/20081006/1223302127
俺も絵文字はさっぱり使えないタイプで、なおかつ携帯メールもさっぱり使わないタイプ。
ケータイ文化にのら(れ)なかった。

iModeのすばらしさには早く気づけた(インターネット、E-mailがつかえる!)と思っているのだが、結局あの10キーに慣れずに使いこなしはできなかった…。まぁそれが携帯文化かといわれれば、まったく別物だとはおもっているのだがw


加速する分化

さておき。

最近は携帯電話を軸として、絵文字、モバゲー、ギャル文字(クサチュー語w)、裏サイト、ケータイ小説、やまほど新しい文化が生まれているのはご存じの通り。
正直これらはさっぱり解らない、存在は知っているのだが実感できないし、違和感を感じているので理解できていないといっていいのではないか。


他にも知らないような文化がものすごい勢いで文化が生まれ(多分消えて)いるんだと思う。
でもさっぱり気づかない。

多分携帯どっぷりな人の中でも「裏サイトなんかなかったよ」という人もいるんだろうな。

最近は世代間の断絶がすごいというけれど

最近は三才くらい差があると、もう文化の差を感じてしまう様だ。

ただ、これは主に下のほうに向かって三才であり、上をみている限りはそんなに差はないと思っている。私には割合年の離れた友人も多いのだが、感覚としてズレを感じたことはそうない。50才だろうがそこまで極端な差というものは感じない。

若い人に聞いてみたい、上の人の文化は自分の文化とすごく変わっているか?
大学出た人なら高校出た人、高校出た人なら中学出た人。
このあたりの予想が当たっているかどうかが気になっている。


実は「みたことがないから」差が際だつのではないか?という考えもある。上の方はその中で生きてきているのだから、当然「みたことがある」のだ。
でも下の方は日々新しく生まれる事から「見たことがない」のだ。
で、それらの差は違和感となり、障壁となる。

見た目からして違う

全く見た目が違う、面白いなと思う。
物事は見た目から入ると言う通り、やはり大きい差を生んでいると思う。

ファッションが違うってのは昔からあるけれど、コミュニケーションの手段すらさっぱり違うってのが特に面白い。
絵文字とかもそうだが、現実の姿として四六時中メールでやりとりしているのを見ると、違和感ばりばりである。


リーマンやOLにだってそういう人は多いのだけれど、あくまで付加価値的なものに見えるし、取り上げられてそれが病気になるほどのストレスになるような事にはならない様に見える。
生活にはしっかり食い込んでいるが、それが人生には食い込んでいないみたいな。

見た目が違う=違和感

違和感があると、やっぱり拒絶してしまう。


よくわからないからべつにいいよ。
そんなもんなくても十分だよ。
それよりこっちのほうがいいよ。


…ホントに?

実は見えない所に面白いモノがころがってるんじゃないか?

ケータイ小説とかが今書籍化や映像化がなされているが、あれは正しい進化だなーと思っている。。
ケータイ小説という名前がついてしまったが、メディアにこだわるとひろがらないんじゃないかと思っている。


それはコンテンツだけではなくて(メディアミックスで映画化みたいに豪華にするとかではなく)、
ケータイということで違和感を感じたり、尻込みする(たとえば俺とか)人間にも魅力的な文化ってのが実はうまれていて、知らないだけなんじゃないか、という事なのだが。


今諸々のケータイ文化をケータイという枠を取っ払う事でなにかできるんじゃないかなーと思っている。
携帯に浸かる気はないが、面白い物はとりだせるのではないか?という事。
それが何なのかはまだ見つかっていないのだけれど。


ハード的な側面でみれば、絵文字文化なんかは爆発的に広がっているとおもうのだが、次はなんだろうな?
DSとか見てると、なんにでもカメラがつく文化、ってのがきてるのかもしれないが。
あとは携帯でお気に入りの画像をもちあるく(アルバムを持ち歩く)文化とか。


「そんなのしってるよ!」っていう様な事でも「わかっていない」のではないかと思っている。