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ルーターのファームウェアアップデート

現在絶好調(≒不具合が起きない)のルーターファームウェアを不必要に弄らない事は決して怠慢ではないし、正しい事だと思う。私はそう信じた上で、責任もってネットワーク管理を努めている。


たまにファームウェアアップデートを薦められる事がある、そろそろ古いだろ、上げてないのか、それではダメなんじゃないか、等と言われる(大抵、その人がアップデートした後)。
そうやって気にして頂く事はとても良い事なのだが、そこで私の持論を持ち出すととたんに文句が出る。下手すると論争になりかねない。いまだその薦めをやんわり断るうまい言葉、説明を見つけていない私も悪いのだが。


ちなみに、アップデートを薦められる理由は大抵の場合「多分、今より安定しているよ、機能が増えているよ」と言う物だ。
それは現在の安定している「現実」を無視して、新しい物は多分さらに良くなっているだろうという「期待」を比較して出てきた結論だ。
意味のない(必要としていない)機能追加に価値は無いし、今安定している物がどう良くなるのか。最悪アップデートで機能追加がおこり、それがバグっていたらどうするのか。

もう少しまともな理由としては「セキュリティなど、致命的な問題があるかもしれないじゃないか、ファームウェアのアップデートをいつも見てないんでしょう?なんで言い切れるの?」確かに頻繁に確認していないが、MLなどで致命的な情報などについては集めている。追加機能は知らないが、致命的なバグは無いと自信を持っている。

普段から情報を集めたり、ネットワークの安定という本当の目的を中央に据えて、客観的に考えているつもりなのだが、その辺りを単純な意見で否定されるのは、普段から真面目に考えている此方からすれば非常に侮辱的な発言になる。まるで障害がおこるまでは何もやらない、そう言うどうしようもない仕事みたいではないか。(大抵、「創造的」な担当の人がそう言うのにはやはり普段の感覚の違いなんだろうなと考えている)


兎に角、相手は短い会話では特に熟考はしてくれないしので、言い返すと言い合いになってしまいがちだ。すると(特にこの業界の人は多いが)相手を論破する事が目的になりがちだ。
どうしても「善意でいったのに反故にされ、論破されるなんて俺は許せない」という攻撃的な感情をもってこられてしまうのだ、理解はできるが。

論破の言い合いはどうしても簡単に責められる(そして反論しても詭弁だと言い放てる)箇所が出てくる。
私の手抜き発想がどうこうなどという、本来の目的からずれた究極的には無意味な持論、私見の論争になる。なまじ頭が良い人の場合はこうして論争は泥沼化し、どううまくいっても平行線にしかならない。


こちらは上で書いたとおり相手の善意を反故にしてしまっている事は理解できているので、別に論破するつもりも無い。結果として私の持論にそった方向におさまれば十分なので、とっとと話を締めてしまう。
そして相手はパワーが有る側のマナーとして「まぁ、いいけどね」という言葉を残して話が終わるのだ。とりあえず双方は満足して後に変な禍根は残らない。一件落着。


まぁ今まで色々な場面で繰り返された事なので納得している。最後私の意見通りになる(つまり権利を頂いている)現状は非常に恵まれている、これは間違いない。

しかし、繰り返される嫌な事だ、こんな文を書いてしまう程度には気分は悪くなるし、悲しい。シス管の明日はどっちだ。